季節はずれの嵐に、街のあちこちにある樹木がざわめき立っている。

折りしも止むことを知らない激しい雨が、

家々の窓を激しく打ちつけ、それがしばし治まらぬ事実を告げる。

 

薄暗く冷たい石畳の廊下を、一人の青年の足音が迷うことなく鳴り響いていた。

颯爽と漆黒の髪をなびかせ通り過ぎる姿に、

行き交う者は皆口を噤み、伏し目がちに敬礼を落とす。

胸に銀の十字架を讃え、黒い団服の裾を翻し闊歩するその様は、

さながら鬼神のように壮観で、見るものを圧倒した。

 

多くの宿泊客が集うホテルのレストランに入ると、

いつもの如く自分の好きな蕎麦を注文して席に着く。

誰にも邪魔をされずに静かに食事をしようとした瞬間、

男は背後に感じる賑やかな音に思わず眉間の皺を深めた。

 

 

「あれ?神田はまた蕎麦ですか?

 そんな少食じゃあ、身体持ちませんよ?

 もっと食べなきゃ……」

 

 

声の主は振り向かずとも判った。

教団一の大食漢の異名を持つ小柄な少年……アレン・ウォーカーだ。

テーブルの上に山のような食糧を備え、ガツガツと人間の食事風景とは思えぬ

賑やかな音を立てている男など、彼以外には考えられない。

 

食事中は会話を慎み、静かに味わって食す。

そんな神田の食習慣とは全く逆の食卓を囲む彼は、

口の中をもごもごと食べ物で膨らませながら、それでも尚話し続ける。

 

 

「いくら食べても食費は教団持ちなのに、どうしてこう欲がないのかなぁ?

 今食べなくて、後であの時食べておけば良かったなんて後悔しても

 遅いんですよ……?」

「……生憎、貴様と違って、喰いモンで後悔したことはねぇ……」

 

 

 

神田は言葉の通り、空腹で後悔した事などなかった。

精神鍛錬で空腹など気にもならなかったし、

もともと少食の彼はわずかな捕食を持ち歩くだけで、

充分に身体を動かす事が出来た。

寄生型のイノセンスを持つものと、武器型のイノセンスを持つ者の

圧倒的な違いがその食欲なのだから仕方がない。 

 

神田はアレンの方を向くこともせず、

さっさと食事を済ませると席を立った。

もともと他人と馴れ合うことをしない性格だったが、

殊更このアレンという新入りのエクソシストは彼の勘に触った。

考え方も生活習慣も、何もかもが自分と真逆だったからだ。

他の誰もが自分に気を遣い、ある一定の位置から踏み込むのを躊躇するのに、

この男だけは違った。

 

命を懸けた任務からようやく開放され、

一人で瞑想に耽りたいというのに、何故かこの男が事あるごとに邪魔をする。

本当はすぐに次の任務に赴かなければいけない所を

この嵐が足止めしてくれているお陰で、彼の不機嫌さは頂点に達していた。

知り合いもいないこの街で互いに足止めされているのだから、

アレンが神田に話しかけてくるのは当たり前といえば当たり前なのだが、

神田にとってアレンの存在は何故か煩わしいものだった。

その感情が何処から来るものなのか、本人すらわからない。

だからここしばらくは自分からアレンと関わるのを意識的に避けていた。

 

 

「あ〜あ、相変わらず冷たいですね……神田は……

 話しかけても首ひとつ動かしてくれないんだから……」

 

 

少し寂しそうな笑顔を作ると、アレンは神田の後姿を見送った。

 

 

「別にそこまで嫌わなくったって、いいじゃないですか……ねぇ……」

 

 

ポツリ呟き、目の前にある食事をまた口に放り込む。

いつも美味しい食事の味が、今は少しだけ味気ないものに感じていた。

 

 

 

 

神田がアレンに感じる苛立ちは、他の人間に対するものと少し違っていた。

同じエクソシストであるというのに、

いつまでも甘っちょろい戯言を言う、子供染みた奴だと思った。

そう、伯爵やアクマの残酷さ、世の中の醜さや儚さを知らない、

温室育ちの蒼白い『モヤシ』がアレンの第一印象そのものだった。

 

それをそのまま口にして彼を呼んでしまうこと自体、

まるで小学生並みのくだらない虚勢だということを、

当の神田自身がまだ自覚していないのだが……

 

 

 

 

 

神田は自室に戻ると、部屋に大きく陣取ったベッドに身を投げ出し、

灰色の天井を呆然と見上げた。

 

 

「この間まではあんなに天気が良かったのにな。

 いざ出発となったらこの有様だ……

 あいつは俺にとって疫病神以外の何モンでもねぇ……」

 

 

マテールの街でアレンと初めて一緒に行動した時、

神田は進化したアクマに隙を突かれ、瀕死の重傷を負った。

遠ざかる意識の底で自分を呼ぶ声は、間違いなくあのアレンのもので……

血だらけの自分に応急処置を施し、

大切な己の団服を怪我人の……自分の枕にしてくれていた。

 

一緒に同行したファインダーのトマに報告された内容では、

アレンは神田の勘違いで重症を追ったトマと、

アクマに攻撃され気を失った神田の二人を抱え、

あの迷路を彷徨い、挙句の果てに人形とも格闘したという。

いつの時点でも、アレンは神田を気遣い心配そうにしていた。

神田が息をしているのを確認すると、ホッと嬉しそうに溜息をついていたと……

 

 

「なんで俺のことなんか、気にしやがる……

 放っとけって言うんだ……」

 

 

出会いが出会いだっただけに、

今更彼と仲良くするなどということは、彼のプライドが許さない。

ましてやアクマの見分けがつく目をもっているなど、

常人としては信じがたいし、アクマの徴であるペンタクルを額に持っていることも、

神田には彼が普通のエクソシストと違うという点で、勘に触る事実だった。

 

もともと人に優しくされたいと思わず、優しくしたこともない自分には、

彼のやる事成す事、全てが理解しがたい。

 

だが彼が理解するしないに関りなく、

アレンという男はずけずけと神田の心の中に入り込んでくるのだ。

 

 

「……ちっ……」

 

 

何ともいえない苛立ちに、神田は小さく舌打ちをする。

すると、部屋のドアをコンコンとノックする音が聞こえた。

 

 

「誰だ?」

 

 

聞くまでもなく、おおよその見当はついていた。

案の定その来訪者は人懐こい笑みを見せながら、

入れとも言わぬうちに部屋の中に足を踏み入れた。

 

 

「僕ですよ……ちょっと用事があって来ちゃいました。

 ……にしても無用心ですねぇ……鍵もしてないなんて……」

「……うるせぇ……

 この部屋を訪ねてくる物好きなんて、お前かアクマぐらしかいねぇだろ」

「……う……アクマと同じ分類ですか……

 傷つくなぁ……」

 

 

アレンは手にした小さな包みをちらつかせると、

神田の寝ているベッドの側へと足を進める。

それを神田の前にはいと言いながら差し出した。

 

 

「……なんだ……?これは……?」

「いえ、さっきは失礼しちゃったなと思いまして……

 僕に比べて神田が少食なのは知ってたし、まだ病み上がりで食欲もあまり無いだろうに、

 つい自分と同じように考えてお節介なこと言っちゃいました。

 あ……僕、怪我してもめちゃくちゃ回復力早いんです。

 けどその反動で、食欲も普段より倍増するというか……その……

 驚くほどの大食いで……」

「……そんなこと見てりゃわかる……」

「……あはは……で、さっきのお詫びにとでも言いますか、

 これお土産です。

 この地方で取れる、滋養強壮にいいって言う果物です。

 さっき食べたんですけど、めちゃくちゃ美味しいんですよ!

 そんなに甘くもないし、これなら神田もいけるかなぁって思って……」

「……俺が甘いモン苦手なの、何で知ってる……?」

「……はは……だって、僕がみたらし団子食べる時、

 めちゃくちゃ嫌そうな顔してますよ?」

「……チッ……」

 

 

神田は目の前で顔を赤らめて話す少年を煩わしいと思う反面、

そこまで自分の表情や行動を見られて気に留められていたということに、

わずかながら胸の奥が暖かくなるのを感じた。

 

 

「しょーがねぇ……せっかくだから、貰っといてやるよ。

 用がそれだけなら、そのテーブルの上に置いて、さっさと出て行け」

「はぁ……いつものことながら嫌な言い方しますよねぇ……

 有難うとまでは言ってもらえると思ってませんが、

 せめて『わるいな』……ぐらいは言ってもらえるかなって、

ちょっと期待しちゃってました」

「ふざけるな!付き返されなかっただけでも有難いと思え!」

「……ですよね……」

 

 

クスリと笑ってアレンは包みをテーブルの上に置く。

ここ数日で、真正面からの言い合いは少なくなった。

それはアレンが神田の天邪鬼的な物言いを理解したというか、

だいぶ慣れてきたというだけのことではあるのだが、

それだけでない思惑が、アレンの中には存在していた。

 

 

「けど、本当に捨てたりしないでちゃんと食べてくださいね。

 僕、この果物20個ぐらい食べたんですけど、かなり調子いいんですよ。

 本当に効くみたいですから、これ食べて……その……

 少しでも元気になってください……」

「お前……なんでそこまで俺のことを気にする?」

「……え……あの……その……」

 

 

珍しくアレンが言葉に詰まる。

瞳が宙を彷徨って、明らかに動揺しているのが見てわかる。

 

 

「えっと……ほら、やっぱり同じ教団の仲間だし……

 あっ、神田は仲間だと思ってないかもしれませんけど、

 その……あれですよ……なんていうのか……」

「……はっきりしろ……!俺は自分の意志をはっきり言えない奴は嫌れぇだ!」

「あっ、はい! その……僕は神田のことが……

 気になるというか……神田は僕のこと嫌いでしょうけど……

 でも……その……あの……好き……なんです……!」

「……はぁ……?」

 

 

いきなりのセリフに鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になる。

アレンの方はというと、自分が言った台詞に真っ赤になっていた。

 

 

「あっ、でも、ほら……その……

 上手くいえないんですけど、深い意味はないですから!

 気にしないでください!」

 

 

自分が告白した台詞の重大さに気がついたのか、

アレンは首をブンブンと振って、手を大げさに動かしては誤魔化そうとした。

 

 

「えっとぉ、そうだ!果物ナイフ要りますよね?

 僕としたことがうっかりしてました。

 厨房行って借りてきますね……!」

 

 

そう言うと、神田が言葉を紡ぐ前に走り出した。

まるで神田からの否定の言葉を予測して、そこから逃げるかのように。

 

神田の方はといえば、アレンの告白に心底動揺していた。

 

 

「あのモヤシ野郎……何言ってやがんだ……?

 俺のことが……好き……だと?」

 

 

男に告白されて気色悪いとか、そういう感覚はなかった。

今まで女に告白されたことは何度かあったが、

ここまで動揺した事はない。

……というより、好きだといわれて赤面してしまっている自分に気付き、

神田は初めて自分の中に巣食う靄の正体がわかったような気がした。

 

 

『情けネェ……これじゃまるでガキの恋愛じゃねぇか……』

 

 

大きな溜息をつき掌で顔を覆う。

 

部屋の中には、さっきアレンが持ってきた果実の香りが

甘酸っぱく漂っていた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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≪あとがき≫
いやぁ〜、いきなりの告白です。
この次はアレンの想いから入ります。
まだ初々しい恋愛からどんどんドロドロした偏愛へと進んでいく予定です。
ご期待くださいませ(#^^#)v

 

 

 

 

 

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――魂の在り処――